概念としての荷物運び
抽象化した(表象を持つ)物体を実際に持ち運んでいる。 完全に実体の無いパントマイムとは全く異なる。 具象と抽象の認知境界が揺らぐ。
description
syunichi.suge [ at ] gmail.com
http://syunichisuge.com
»Two Joined Square Tables (tables, Qing dynasty (1644 – 1911))«, 2005 by Ai Weiwei.
——
本来融合しない物体同士を強引にくっつけてしまう。「生々しさを制御するsculpture」とは異なるやり方で、新しい質感/表象を起こしている事例。
※生々しくは無いんだけど、「この世に無い不可思議な感じ」が心の中に残る。
ここ10日ほど、twitter(@ssuge)で
帰宅=KTK
どこか行く?=DKKIK?
のように(なるべく)母音を省略した表記でつぶやくということをしていた。
こういった表記は、メールアドレス等昔から使われていたし(例:sakamoto=skmt)、自分自身もそれを見て「面白いなあ」と思っていた。
今回の試みは、何でこの表記をを面白いと思うのかという検証と、この表記がtwitterのようなリアルタイムのtextのみのコミュニケーション空間で実行されたらどのようなことが起きるのか、果して、意思の疎通は取れるのか見てみたいという思惑で始めている。
で、やってみて感じた事を、いくつか箇条書き。
1.decode(解読)する際の頭の使い方は、面白いということ。
2. 後で見返すと、自分のポストでも、decodeできないことがある。つまりこれは、意味情報が劣化しているということだ。アナログだろうがデジタルだろう が、意味情報の劣化からは、逃れられない。解釈側が意味を失えば、それはもはや、情報としては価値を持たない。それは、ただのノイズになってしまう。
3.@で会話すると、以外と円滑に、コミュニケーションできる。つまり文脈を共有できれば、コミュニケーションは可能(=コミュニケーションには文脈が非常に大切)という当たり前すぎてあまり言われていない事を、実際に当事者として体験・確認することができた。
※このやりとりを眺めていた人は、どう思っただろうか。
と、自分が普段から考えているコミュニケーションに関しての問題について収穫があったので、半分悪ふざけから始めた事だけど、やって良かったような気がする。
特に3に関しては、スキーマ理論なんかをサブテキストにすると、色々な事を考えるヒントになると思う。
前提とする知識が、どのようにコミュニケーションに作用するか。その「前提とする知識」をいかにして事前共有しておくか(それは、例えば日本人なら誰もが知っている文化的コードにすることで、ショートカットできたりもするけれど)。
この二つの事をきちんと整理して、コントロールできるようにするとモノを作る際にすごく有用になると思います。
個 人的には、普段からこういったことをちょこちょことやりながら、ソフトの使い方とかじゃなくって、新しいメディア表現技法を構築していくことがとても楽し くて好きだし、こういう(一見くだらないかもしれない)試みを繰り返す事で、世界と戦うための自分の武器がつくれるのではないかなと思っている。@(メンション)されたときによめた、のところは5回に3回くらい真で、2回はかなり時間かけないとわからなかった。話しかけてみた感じだと、より一般的な語彙、あるいはあるコンテクストから想起できそうなクリシェ的な文じゃないとわからないっぽい。菅君にいきなり「うんこたべた」をUNKTBTって@したけど完全にスルーされたし。あと一文が長いほど理解しづらく感じた。母音省略記法化する(encodeする)方ですでに何パターンかあるのと、母音数が5程度であるからいちおうぎりぎり効率的解釈の瀬戸際かもしれない。なおこの実験で6番目の架空の母音の可能性などを考察する余地が出た。
たしかにそうかも。解読に負荷を強いるっていうのは問題なんだよね。だからその、解読の部分を(これはエンタテインメントでしか成立し得ないけど)クイズ・パズルのような「解きの楽しさ、快楽」に転化するっていう手はあるのかなとか思ったりしている。
あと子音が共通しているために誤解を生じたケースも確かにあったので、この省略の場合は、これが問題になっている。
ちなみに、UNKTBTは読めていた。ただ、その直後iPhoneの充電が落ち、自宅に帰ってからわざわざ突っ込むのもどうかとおもったんだよね!!
ここ10日ほど、twitter(@ssuge)で
帰宅=KTK
どこか行く?=DKKIK?
のように(なるべく)母音を省略した表記でつぶやくということをしていた。
こういった表記は、メールアドレス等昔から使われていたし(例:sakamoto=skmt)、自分自身もそれを見て「面白いなあ」と思っていた。
今回の試みは、何でこの表記をを面白いと思うのかという検証と、この表記がtwitterのようなリアルタイムのtextのみのコミュニケーション空間で実行されたらどのようなことが起きるのか、果して、意思の疎通は取れるのか見てみたいという思惑で始めている。
で、やってみて感じた事を、いくつか箇条書き。
1.decode(解読)する際の頭の使い方は、面白いということ。
2. 後で見返すと、自分のポストでも、decodeできないことがある。つまりこれは、意味情報が劣化しているということだ。アナログだろうがデジタルだろう が、意味情報の劣化からは、逃れられない。解釈側が意味を失えば、それはもはや、情報としては価値を持たない。それは、ただのノイズになってしまう。
3.@で会話すると、以外と円滑に、コミュニケーションできる。つまり文脈を共有できれば、コミュニケーションは可能(=コミュニケーションには文脈が非常に大切)という当たり前すぎてあまり言われていない事を、実際に当事者として体験・確認することができた。
※このやりとりを眺めていた人は、どう思っただろうか。
と、自分が普段から考えているコミュニケーションに関しての問題について収穫があったので、半分悪ふざけから始めた事だけど、やって良かったような気がする。
特に3に関しては、スキーマ理論なんかをサブテキストにすると、色々な事を考えるヒントになると思う。
前提とする知識が、どのようにコミュニケーションに作用するか。その「前提とする知識」をいかにして事前共有しておくか(それは、例えば日本人なら誰もが知っている文化的コードにすることで、ショートカットできたりもするけれど)。
この二つの事をきちんと整理して、コントロールできるようにするとモノを作る際にすごく有用になると思います。
個 人的には、普段からこういったことをちょこちょことやりながら、ソフトの使い方とかじゃなくって、新しいメディア表現技法を構築していくことがとても楽し くて好きだし、こういう(一見くだらないかもしれない)試みを繰り返す事で、世界と戦うための自分の武器がつくれるのではないかなと思っている。
予め立体物で作られた歌詞(曲の展開でだんだん増えて行く)に対して、カメラアングルとピントで、切り替えていくMV。
環境設計型の映像
“サステナブルはわかりますね。
「持続可能性」sustainablityというのは「環境負荷が限界を超えない程度にちょっとずつ自然から富を取り出す」ことである。
前にも使った比喩だが、サラ金から多額の借金をかかえこんだ債務者を債鬼たちが取り囲んで「ぶっ殺すぞ、こら」と凄んでいるときに訳知りのオヤジが出てきて、「まあまあ、ここでこいつを殺しちゃったんじゃ元も子もない。どうでうみなさん、こいつはしばらく生かしておいて、ちょっとずつでも返済させることにすりゃ」と取りなす・・・というような情景を思い浮かべていただけばよろしいかと思う。”
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内田先生による、サステナブルの比喩が的確すぎる。
つまり、私は(あなた達とは違って)悪く無い。だから尊敬して!いや、尊敬すべきだ!尊敬しないお前達はなんて愚かなんだ!っていう気持ちの現れが、こういった活動に向かわせるモチベーションの一端になっているのは間違い無いと思う。
別にそういう気持ちは誰にでもあるし、それを否定するわけでは全く無い。ただ、その気持ちを隠すように、「サステナブル」という言葉を使ったビジネスや活動をしている事がすごく下品だし、単純に質(たち)が悪いなと思ってしまう。
大義名分で覆われた名前やコピー。それを何もしらない無知な(これはこれで罪深いが今回は置いておく)人たちが、自分を正当化するために引用して使う。
この循環が止まらない限り、何も変わらない。ホントに、こういうのは新しい暴力ですよ!